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一ノ瀬泰造
うまく撮れたら、持って帰ります。うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!

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難攻不落の聖域「アンコールワット」
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被弾したカメラも泰造を
取り巻く状況の凄まじさを語る
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泰造はカンボジアで
何を見出そうとしていたのか
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母 信子さんは息子の残した
フィルムを自ら焼き付けていく
一枚のモノクロ写真・・・
戦場でヘリコプターから飛び降りる瞬間の一人の青年、その彼の何かを射るような鋭い目、その目に惹かれた。映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』の制作発表を伝える新聞記事に掲載されたその一枚の写真が、私と「一ノ瀬泰造」との最初の出逢いだった。

70年代、激動のインドシナ半島へ単身飛び込んでいった若き戦場カメラマン一ノ瀬泰造。泰造はその向こう見ずな並はずれた行動力で、戦場の最前線でカメラを構え、シャッターを押し続けた。世界中から集まったジャーナリストや地元の人々からは親しみを持って「TAIZO」と呼ばれていた。そんな彼の心を捉えたのは、当時、反政府軍クメール・ルージュの聖域であった遺跡“アンコールワット”。そこは、西側のジャーナリストは誰一人として近づくことが不可能な、いわば“難攻不落”の地だった。

「もし、うまく地雷を踏んだら、サヨウナラ!」
1973年11月、友人にこう宛てた手紙を残し、泰造はアンコールワットへ単独潜入を試み、その後消息を絶つ。26歳の誕生日を迎えたばかりだった。

私が「泰造」と出逢った頃、私はテレビ番組のMCをしていた。その後、担当1年で番組を降番したことをきっかけに、今までの自分を振り返った。果たして私は自分の夢を実現する道を歩んできたのだろうか?

泰造の26年間の人生、それはあまりにも短過ぎる。しかし、自分の追い求めるものにこれほどまでに純粋に、ただひたすらに突き進んでいった泰造の生き様は、私にはとても眩しかった。自分の夢を追い求める強さ、揺るぎない信念。あの写真の泰造の眼は何を見ようとしていたのか?
それを自ら確かめたい。私はそれまでのキャリアを捨て、泰造が愛したカンボジアでカメラを回し始めた。30年近くの時を経てなお、人々の心には“TAIZO”がまぎれもなく生きていた ― 泰造はこの大地で何を見い出そうとしていたのか?

泰造を知るもう一つの手がかり、それは残された息子の2万コマのフィルムを焼き続けた両親である。高齢の両親が「二人で最後の泰造の写真集を作ろう」と思い立ったのはもう数年前。しかし、2001年春、泰造の父清二急逝。残された母信子は一人で写真集を作ることを決意する。母が伝えようとした泰造のメッセージとは...

泰造にとって真の意味の“アンコールワット” − それは誰しもが心の中に抱く大切な想いに、きっと繋がると信じている。

映画『TAIZO』監督 中島多圭子