名古屋生まれ。 名古屋市立第一高女を卒業後、花嫁修業に励む。1943年、当時、千葉県下志津陸軍飛行学校写真班教官だった清二と結婚。千葉県の農家の一間に所帯を構える。1945年、激化する第2次大戦の戦火の中、長女紀子を出産。その後終戦を向かえ、2人の故郷佐賀県武雄に帰郷する。1946年、次女淑乃、翌年長男泰造を出産。腕白でありながらも、父からの影響で自然にカメラの道を歩み出す泰造を見守る。 1973年の泰造の消息不明後、清二と各方面に協力を呼びかけ、捜索活動を続ける。が、想い届かず。9年後の1982年、泰造の死去をカンボジアのプラダック村で確認。悲しみの中、息子の志を受け継ぐがごとく、残されたフィルム2万カットを現像し続ける。2001年、夫清二が他界。その後も一人自宅の暗室にこもり、現像を続ける。 最新写真集『もうみんな家に帰ろー! 26歳という写真家・一ノ瀬泰造』(窓社)は、一ノ瀬泰造の母の手焼き写真集として、全国で評判を呼ぶ。 |
1947年、長野県生まれ。 幼少時より道楽好きの父親の影響で、釣り、狩猟などを通して四季の山野に親しむ。1966年日大芸術学部写真学科入学。部活動『フォトポエム』で一ノ瀬泰造と出会い、写真について熱く語り合う親友として、学生時代を過ごす。卒業後、吉田大朋氏、増渕達夫氏に師事し、フリーの雑誌カメラマンとして活躍する。仕事の傍ら、ベトナム・カンボジアから送られてくる泰造の写真を現像し、本人の代わりに出版社に売り込みに行く。共に写真に励んできた泰造が行方不明になったことがきっかけとなり、自らのカメラマンの道に区切りをつける。 その後、日本にフライフィッシングとバックパッキングを紹介した故芦沢一洋氏と出会いから、エコロジーに根ざしたアウトドアスポーツの必要性を感じ、 1977年アウトドア用品の輸入販売会社A&Fを創立。 『スポーツナイフ大研究』(講談社)、『アウトドア200の常識』(ソニーマガジン)、『アウトドア・サバイバル・テクニ ック』(地球丸)、の著書がある。現在、「株式会社A&F」代表取締役社長。 |
1934年、愛媛県生まれ。 1957年、早大政経学部卒業、朝日新聞入社。西部本社社会部員を経て東京本社中国研究会調査員となり、中国・ベトナム関係を研究。1966年、那覇支局長。 1970年から、アジア総局員としてプノンペンに常駐。その際、支局を訪ねて来た一ノ瀬泰造と初めて会う。その後1972〜73年、サイゴン支局長時代にも、何度か泰造の訪問を受ける。1973年、泰造がカンボジアへ向けてメコン川を遡る時、サイゴンにて泰造の荷物を預る。泰造行方不明後、ベトナムに遺された彼のフィルムの保管に尽力する。 1973年11月東京本社外報部へ復帰。朝日ジャーナル編集部・副編集長、社会部・農水省朝日キャップ等を歴任。1979年、ベトナム・カンボジア臨時駐在を経て再び外報部へ復帰、さらに東京本社編集委員として東南アジア、エコロジー、日韓関係など担当する。1991年、ハノイ初代支局長を経て92年から外報部編集委員。1996年、定年退社後は、早大理工学部講師を経て、現在、大坂経済法科大学客員教授。 『新版・カンボジア黙示録』(田畑書店)、『危機に立つアンコール遺跡』(朝日新聞社)、『インドシナの風』(桐原書店)など著書多数。 |
1941年、東京都生まれ。 1963年慶應大学経済学部卒業後、米国ワシントン大学ジャーナリズム学科大学院に留学。翌1964年より毎日新聞社会部記者、外信部、サイゴンやワシントンの特派員、政治部編集委員を歴任する。ベトナム戦争終盤の1972年、サイゴン市内で一ノ瀬泰造と会う。1987年、産経新聞社に移った後は、ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長を務め、2000年12月より再びワシントン駐在の編集特別委員兼論説委員に就任。 著書に『遙かなニッポン(毎日新聞社)』『ODA再考(PHP新書)』『国の壊れる音を聞け(恒文社21)』等多数あり、またコメンテーターとしてCNNなどのテレビに出演するなど幅広い活躍を果たしている。戦争報道でボーン国際記者賞、著書『ベトナム報道1300日』で講談社ノンフィクション賞、『大学病院で母はなぜ死んだか』では雑誌ジャーナリズム賞など多数受賞。 |
1949年、千葉県生まれ。 小学校2年生の時にカメラを手にし、それ以来写真の虜になる。1967年日本大学芸術学部写真学科入学。部活動「フォトポエム研究会」に入部。一つ先輩に一ノ瀬泰造がおり、学園祭などで時間をともに過ごす。1971年、同校を卒業後篠山紀信のアシスタントになる。『カメラ毎日』『アサヒカメラ』に作品を発表。1975年にフリーカメラマンとして独立する。当初、男性誌をメインに活動するが、エディトリアル、広告、ファッション、NUDE、ドキュメンタリーと場を増やしていく。現在はファッションやドキュメンタリーを多く撮っている。 著書に写真と文の『サイゴンの昼下がり』(新潮社)、『CUBA ユーウツな楽園』(アミューズブックス)、そして2003年に小説『熱を食む、裸の果実』(講談社)を発表している。 横木安良夫のサイト:ALAO YOKOGI PHOTOGRAPHS 写真展「北へ、北へ、〜Forgotte Vietnam」開催中!(12月25日まで) |
1928年、愛知県生まれ。 1952年毎日新聞社写真部入社。9日後に「日航もく星号三原山に墜落」1ヵ月後の5月1日は「皇居前血のメーデー」と大事件が続いた。週刊誌のグラビア撮影を担当する出版写真部が長かった。東京オリンピックの年の春、現天皇陛下の皇太子時代、ご夫妻のメキシコ訪問に同行。その後、アメリカ大陸をニューヨークからサンフランシスコまで2週間ほどかけて横断バス旅行したルポなど30歳代の感動と汗の思い出。編集写真部ではビジュアルな企画ものが各社競争で紙面を飾り、新聞写真の華やかな時代、ベトナム特派員としてサイゴンに赴任。1972年、一ノ瀬泰造とサイゴン市内で会う。 特派員として活躍の傍ら、泰造のプライベート写真を撮影。なかでも、ヘリコプターからカメラを持って降りたつ泰造の写真は、彼のキャラクターを象徴する写真として今回の映画のポスターにも起用している。報道写真連盟の事務局長で定年。今もアマチュア写真クラブの講師を勤めながら「写真を楽しんで」いる。 |